それでもlife goes on
人生にマウントとられて、近視眼的になって、何度も経験してるはずなのに、またうまく攻略できずにやられることが26歳くらいから27歳くらいにかけて良くある。このごろの私のメンタル状態は弱っている気がする。思い出せる限り、ちょっと前の自分はこんな感じではなかったのに、最近は人生放棄気味である。80歳とは言わず、40歳まで生きるのだりーなぁとか、なんなら今27だけど30ですら遠いな、長いわと思う。突如生きなり終わったりしないかなとか思ったりする事もあるけど、これ以上は本当にそうなったら怖いのでやめておこう。こんな時は瞑想かなんかして俯瞰を取り戻すのが重要だと思う。前にも書いた気がするけど、何度も経験してるのに、すぐに視界が狭くなって、やられている自分によく飽きれる。そのプロセスの中で、よく俯瞰に浸りすぎて、悟りに近いものを感じてしまうんだけども、今回もそんな感じです。
今を楽しむ意識なしに良き人生はない説
人間とは無い物ねだりであり、欲のつきないものであり。現状を見て、もっとこうだったらいいのにとか、もっとこうして行きたいとかしょっちゅう思うのが私です。別に悪い事ではないのですが、現状を常に100%楽しむという意識なくして、良い人生は一生ありません。常に「今」もの足りていない、ということに陥るでしょう。例えば、私は先日携帯を失くしました。またこの話です。携帯がないのが辛い、不便なのであれば買うしかありません、買いましょう。だけど、携帯が手に入る迄には時間がかかるわけで、それ迄の時間は辛く、不便で不満溢れる時間にしてよいのかと。これも意識の問題で、携帯がないなら、ないなりの楽しみ方があります。最近仕事の疲れからか、オフの時間帯はめっちゃ携帯を触ったりしてネットしてました。ないなら、思考にふければ良いのではないでしょうか。そうしてみると、最近こんなに物思いにふけることはなかったなー、なんか色々現状を鑑みたり、ちょっとした未来について考えてみたり、過去について考えてみたり、冷静に考えられました。つまり、携帯がないならないでない人生の良さがある。車が故障しました、どこにも行けません、嘆く。この状態が終わっても、だらだらと不満を引きずって生きていても仕方がありません。どっちにしろ車が故障しているという事実、修理に時間がかかり、車に乗れないという事実に変わりはありません。こうなったら、車に乗っていたらすっとばしていたであろう、徒歩圏内の公園、町並み観察、店、なんでもみてみりゃいいんじゃないかと。そこには車に乗っていたらわからなかった気付きとか喜びがあるのではないかと。別に常に人生100%楽しもうぜ!みたいな暑苦しい、綺麗ごとをいってるわけではなく、たまに意識して「どう意識したら今をもう少し+に捉えられるだろう」と意識して生きてみることが大事で、そういう意識がないと常に人生は満足感のない味気ないものになるのではないかということであり。一方で現状に不満があるのであれば、変化させるための動きは何かしら、意識なのか行動なのか起こさなければ現状は展開しません。なので、変化させるための動きは起こしつつ、だけど今の状態ってそんな捨てたもんじゃないよな、って考えられる意識が重要だと思われます。変化を起こして、理想としていた状態が手に入ったとしても、何かもっとこうだったらいいのにな、とか思ったりするものです。困ったものです。