World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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考えても仕方ないことを考えないこと

考えたら辛くなるような事が人生にはよくある。胸が苦しくなって、思い出したくもない、みたいなことが私の人生にですらある。そういうことにはこれまで徹底的に向き合って、というか正確には向き合ってしまう自分がいて、対面してきたんだけど、そういうものからは一時的に目を背けるというのは大事なことなのではないかと最近思う。その事件が起こって自分が辛い経験をした当時というのは想像以上に視界が狭くなっており、感傷的というか、痛みに浸っている自分がいるという事を、時間が経過してから気付くという経験を何度もしたことがある。そう思うと、その事件が起こった当時はそれにしかどうしても目がいかなくなってしまうような目を持っているけど、時間が経てばもう少し俯瞰して、冷静に見る事が出来るので、とりあえずその時点では「考えない事」が大事な気がして来た。これはこれ迄の私の考え方だと、「逃げ」だと捉えてきたが、これは逃げではなく、快適に生きるために必要なスキルだ。スマートな手段だと思う。ただ、スマートが過ぎると、少し悲しい。こういう、感情の起伏のバランスを取る事は、痛みを和らげる事に必要な技術だが、あまり極端に巧くなりたくないなと思う、逆説的である。

死ぬ迄にやっとくこと

色々な論はあるのはわかっているけど、今の私の論で言うとやはり生きるモチベーションは「生きている実感」を出来るだけ感じることなのかなーと思う。「生きてんなー」と感じる瞬間が、多くはないけど私の人生にも何回かあって、それってよくよく考えるととっても気持ちよくて有り難くて、それを重ねることが人生なのかなと思う。色々なタイミングで思うんだけど、例えばバイクで自然の中で駆け抜けてる時とか、恋愛をしてウキウキしてる瞬間とか、人にありがたがられた時とか、青い空を見た時とか・・・ざっと思うとこんな時が、その「生きてんなー」と感じる瞬間なわけだけど、結局の所それを求めて今後も行くしかないと思う。つまりはそれって全てではないんだけど、自分がやりたかったなーとか思ってたことをやってる時で。(あとは自然とか日常かな〜。)だから、これからもそういうやりたいことをやっていくことで生きるモチベーション高めていくことになるとおもうんだけど、その中でも純度の高い物から順にやってくべきなのかもしれない。人はいつ死ぬかわからないので、明日死ぬとは言わずとも来週、来月死ぬくらいの感覚で生きて行こうと思う。死ぬタイミングがいつ来ても「あん時こうしとけばよかったなー」はどっちにしろあるはずなので、これはもう考えても仕方ない。出来る限りそう思わないように、好きの純度の高い物からやっとくしかない。正直、もう「やりたいことをやる」ゲームには飽きている。幸せなことにやりたいことをいっつもやらさせて頂いている。今後60年近く続くのではないかと思われる長い時間を現時点から眺めて、いたたまれない気持ちになることがある。早く死にたいとは思わないが、人生というのは意外と長いなとよく思う。こんな感じできっと人生は続いて行くと思うので、確固たる生きる理由が欲しい物だが、私には絶対的に守らなければやっていけないような、所謂我が子のような存在もいないので、生きる上で使命のようなものもない。ふと考えてみて、もしかしたら誰にでもある使命ではあるかもしれないのだが、「これまで幸せな人生を過ごさせて頂く上で、様々なサポートをして頂いた方々に感謝の意を伝える」というのは生きる意味になるかなと思った。私をここまで育ててくれた人々、幸せな気持ちにさせてくれた人々が、パッと認識できる範囲でも沢山おり、その人たちに感謝の意は伝えたいなと思う。きっとその手法でベストなのは、楽しく、幸せに生きて、たまには私の顔を見せることなんだろうなと思う。つまり、私の選択肢は生きること、という逆説的な結果になってしまう。