World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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じぇいこぶみたいになりたい

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僕は中学と高校の時はアメリカにいたんですけど、その時の友達でじぇいこぶというアジア系アメリカ人の友達がいました。かれこれ日本に戻って来てから僕は7年〜8年くらい経ってる気がするんですけど、先日じぇいこぶから連絡がきました。元気か?的な。

 

彼はアメリカにいて、僕は日本にいるので、距離的にも離れているし、高校卒業から会ってないので時間は何年も経っているのに、こうやってフランクに「元気か?」的な連絡出来る人を尊敬します。結構こういう連絡する側というのは、「俺なんか忘れられてるんじゃないか?」とか何してるのか気になれるけどまあいいやみたいになったりしがちな気がするんですけど、こういうのをマメというのかなんなのかはわかりませんが、単純にいい奴だな〜って思いますよね。僕は相手によってはためらったりしてしまうタイプです。

 

こういうことを出来る人って他にも僕の知り合いにいるんですけど、大抵とても愛嬌があって、人から慕われてる人な気がします。実際、高校の頃アメリカに行った時の僕の経験ですが、アメリカなので色んな人種の人がいますが、アジア人は現地生まれの人も、そうでない人も大体ナイスでフレンドリーです。僕と似たような顔してるからなのか、国民性なのかわかりませんが、国問わずアジア人はアメリカに来たばかりの僕にとても優しく接してくれました。もちろん人種問わず優しい人は優しいのですが、全体で見るとアジア系の人にそういう人が多かったかなーと思います。アメリカなので白人がマジョリティでしたが、その中でアジア系コミュニティーがマイノリティだから結束が強いのかもしれないし、自分自身もどこかで外から新しいコミュニティに入るという経験があって、同類に優しく接することが出来るのかもしれません。根本的な理由はわかりませんが、そんなじぇいこぶは当時からやっぱり新参者の僕に優しく接してくれた印象が強く残っています。

 

いずれにせよ、こうやって僕も気になる人がいたら、気兼ねなくさらっと声かけられる人になりたいです。かなり久しぶりの人にさらっと声をかけるとか、間違いなく相手をいやな気持ちにさせることもないだろうし、ただただ人間的にほっこりします。僕はほっこりしました。僕もじぇいこぶみたいになりたい。

 

 

*1:黒部ダムとかの先にある雷鳥沢キャンプ場でテント張った時

キャッチーなものに興味がわかない


ベートーヴェンピアノトリオ大公 - YouTube

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キャッチーなものに興味がわかない。例えば人の目を引くような本のタイトルとか。キャッチーな響きのある言葉の選択とか。もう疲れた。意味のあることばかりが大事なことではないと思う。もうちょっと若かった頃、意味のありそうなことばかりを考えていた時期があった。例えば効率性とか。例えば成長とか。例えば人脈とか。極論、意味のあることは意味のないことが多い。逆に、意味のないことは意味があることだったりする。だからもう基準なんてなくて、適当に導かれる方に進めばいいと思う。つまり、感情が赴く方だったり、どこから湧き出てくるのかわからないわけのわからない使命感だったり。ガンガン不毛な小説を読み、ガンガン無駄に昼寝し、ガンガン漫画を読んで引きこもっていればいいと思う、聞いたことないクラシックでも聞きながら。そして、今書いているみたいに、ガンガン何にもならないしょうもない文字を連ねれば良いと思う。それが客観的にわけのわからない行動だったとしても何の問題もないと思う。いずれにせよ自分でもわけがわからないんだけど、赴くから進んでる訳だし。更に言えば周囲の目なんてのは勝手に自分が作り上げた化身だったりすると思うし。

 
昔広告を作ってた人がよく言うなと自分でも思うけど、なんかキャッチーとか本質的じゃないし、そのものに自信がないから誇張した形で見せるんじゃないかしらと思ってしまいます。なんか、もっとぼちぼちやれよと。そんな大きく魅せなくても、焦らなくても、世界はこのままあり続ける訳で。明日も変わらぬ日常な訳で。まあ急ぐも急がないもその人の好みだから一概には言えないけど、私はそんな急ぎたくないなー疲れるし。
 
世の中の大きな流れとかもどうでもいいです。どうでも良くない気分の時もあるけど、今はどうでもいい。そんな大きな流れを意識しなくたって、意識したって、いずれにせよ同じように時間は流れて行く。変わらないのは自分という人間がいて、どっか向いてぼちぼち歩いたり止まったりすること。大地震が来る時はくるし、こない時はこないし。いきなり背後からさされる時は刺されるし、刺されない時は刺されないし。この前、キャンプしていたら暴走族に囲まれて相当ひやっとしましたが、刺激したら怖いので、ぼーっとしてたら帰って行きました。let it be, let it go.
 
究極のニヒリズムですね。でもこの感覚は自分として嘘ではないですね。こういう自分も間違いなく存在する。