World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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心躍るもの

基本的に何でも興味は持つし、持つようにしてるし、その魅力に気付くと面白いなーと思うんだけど、27年間生きて来てやっぱこれすげーなー、めっちゃいいわ!というワクワク感、高揚感、まさに言葉通り心躍る対象っていくつかあるなーと寝る時に思ったので、ごちゃごちゃ書いてみます。
 
まずは旅。つまり色々な所に行ってみるという事。グーグルマップで世界地図見てるだけでウキウキします。世界一周船乗ったり、オーストラリアきてより思うけど、こんなところでこんなことしてる人いるんだー!すげ!という発見に、どこにだってそりゃ人はいると思ってるから理屈的にはわかっちゃいるんだけど、毎度感激する。世界一周船でまわった聞いた事のない島にも、あんな辺鄙な地域にも、人はいて、想像もしないようなバックグラウンドで生きているというのが、なんともこの自分の世界がぐわっと広がる感じ、というと陳腐な表現だけど、おおおーーという圧倒される感じが好き。自分はこれまで凝り固まった考え方してきたな、と思わされる。単純に行った事ない地域を見てると興奮する。なんか楽しそう。この「なんか」に色々な想いが詰まっているわけで。できるならやっぱり色々な地域にある程度の期間定住したいなぁ。やっぱり、これも本当に理屈的にわかっちゃいるんだけど、ちょっと観光で行くのと、最低1ヶ月くらいは住んでみるのでは全然見え方が違う。なんか固定された概念もってたなぁと、当たり前の気付きを得る。今なんかはなぜかドイツの地図みて興奮してます。あんな色んな国に囲まれてて、とか。特にこれまであってきたドイツ人の若者がすごい教育的に進んでるような気がして。若くして色々な所に足を運び、言語的な意味でもコミュニケーション的な意味でも高いコミュニケーション能力を持って、あまり他国の同世代の人がやらないようなことやってる人が多い気がする。どんな教育制度やねんと思います。ある人は20代前半くらいの人たちで中国の高校で英語教えてたし、ある人は19歳でサーフィンの資格とりに南アフリカ数ヶ月行って、今オーストラリアにいるという、自分が19の時は大違いなワールドスケールな生活しとんなと。なんだかんだ、ヨーロッパってこういうところ進んでるなと思わされる。制度とか暮らしとか教育とか、ヨーロッパといってもピンキリだけど、なかなか強い。若い人に会っても知識とか人としての成熟度の水準が高い気がする。ヨーロッパ以外で会う純ローカルではないからな気もするけど。
 
音楽&ダンス。やっぱり、10代の頃から興味持ってただけあって、音楽&ダンス、このコラボレーション最強だなと未だに思う。めちゃめちゃ心躍る。うわーーーと心から思えるのはやっぱこれ。特に音楽。めちゃくちゃ沁みる。なんか無条件に良い。言葉のストックがないからか、それこそが音楽だからかなのかはわからないけど、本当に言葉の通り、言葉に表せない良さがあると思う。今後の人生、やっぱりこの分野にはもっと力いれたいなーと思う。ただただ楽しい。こういうものに出会えて本当によかったなーと思う。何も言い得てないけど、本当にそれだけでした。ただただ素晴らしい。カッコいいし、無条件に心通うし、踊るしっていう。
 
自然。これもまた無条件に良い。綺麗にちょろちょろ流れる山の水とか、清流とか、綺麗な海もそうだし、そよ風とか、つんと冷たい空気とか、たまに意識的に見る青空とか、これに適うもんはないなーと思う。結果的にキャンプとかアウトドアアクティビティかなり好きだし。最近は山登りとかサーフィンとかやって、対自然系アクティビティやって、余計思う。この辺のアクティビティ心引かれるものあるのは、対自然だからだろうなーと思う。これもまたなんでと言われると難しいけど、変化に富んだ気候、リアルに訪れる生命的危機、シンプルな美、ありのままな姿、そういう手の加えられていない、加えられない自然なままの自然が好きなのだと思われる。
 
食。これも言わずもがな、うまいもの食べると、あーいいなーと無条件に思う。サーフィンのあと、アイス食べる事想像するとウキウキするし、オーストラリアにいながら、今日アジア料理食えるよ、とか言う話になったら、まじっすか!というノリに本気でなるという素晴らしさ。今からこってりラーメン食えるよ、ってなったら無条件にウキウキするのである。音楽とも似てるけど、食という活動を実践してない人ってほぼいないと思うんだけど、他人と共有しやすいってのも良い。喜びをわかちあいやすい。
 
あとは動物とか祭りとか人との出会いとか。色々考え始めたらでてくる。こういう高揚感を感じられるような対象は大事にしたいなーと思う。ふりかえって見てみると、ヒッピーみたいな好みしてるなと思う。

 

焦らずに、淡々と今やれる(範囲の)ことをやる

最近は何をしてるかというと、ひたすら海の近くに住みこみ、サーフィンをしまくっている。おかげで前よりはうまくなった。最近一本板が折れて悲しい。夜は週3とか4くらいで仕事をして生活費を稼いでいる。たまに小旅行にでかけ、あとは本読んだりゆったりして過ごしている。以上。
 
これは真理だなーと思うのだけれど、タスクに追われ、何かに追われているときこそ、冷静さを失いテンパってぎゃーーー何からしたらいいんだ、わーーみたいなことになることが私はあります。冷静に考えれば今やれることをやることをやる以外に出来る事なんてないはずなのに、その時はそんな冷静な状態じゃいられない。自分は自分を冷静なタイプだとかぬかすことがあるが、全然そんなんじゃない時がたまにやってくる。ぎゃーーーわーーーとなって何がなんだかよくわからないので発狂状態なのであるが、その時の冷静的思考の失われ方と言うと、もう恥ずかしいくらいである。そういう時は、もう言わずもがな、この言葉の通りで、やれることはただ一つ。今やれる事をやるのみ。たまに思うんだけど、人間誰しも脆いもので、普通だと自分の事を思っていても、時に危うく、孤独感、寂しさなのか、なんなのかわからない気持ちに陥る時があるように思うんだけど、そういうときもただただその瞬間の自分がやれる限界ちょっと手前くらいまでをひたすらやるしかないように思う。今日は外に出たくないと思うのであれば、一歩も出ないか、軽く窓を開け放ち外気を感じる。もしくは出来るならベランダにでてみる。無理なら出ない。とにかく無理をしない。出来る所までやる。今日はサーフィンしたい気分でないと部屋で思う。でも海までいくことなら出来る。そしたら海まで行ってみる。そこでまた問いかける。サーフィン出来るか、答えが出来るなら入る。出来ないなら海の近くでチルする。とにかくその瞬間瞬間で出来る所までやる。あとは神のみぞ知る。運任せ。時が何か変化を起こすでしょう。意外と人間の一つ一つの小さな発言や行動の変化が物事や生活に微かながら変化を起こすものだと思っている。だから出来るところまでやっていたら、何か変わる信じて、あとはただただ心平穏に過ごせば良いと思う。ちょっと瞑想的なスピリチュアルな話になるけど、色んな物事が起こるこの世の中では特に、こういう自分に対する冷静な問いかけというのが足りないと思う。自分の話だけど。これが出来ると物事ってそんなややこしくない気がする。ケースバイケースだから異論はあると思うけど、頑張りすぎな人に対しては特に、淡々と今やれる範囲のことをやるという精神はすごく響くと思う。人はいつ死ぬか分からんと言われるが本当にそうで、明日死ぬかもしれないし、あと100年生きるかもしれない。明日死ぬとわかっても、100年後死ぬと分かっても、結局やるべきことは今やれる範囲の事をやるだけ、である。とにかく、焦ったって状況は好転しないし、あたふたして自分を失い、疲弊するだけだと思う。