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旅するうどん屋のうんたらかんたら

できるだけ人が興味を持たないことを、一切無理する事なく書き続けてます

キャッチーなものに興味がわかない


ベートーヴェンピアノトリオ大公 - YouTube

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キャッチーなものに興味がわかない。例えば人の目を引くような本のタイトルとか。キャッチーな響きのある言葉の選択とか。もう疲れた。意味のあることばかりが大事なことではないと思う。もうちょっと若かった頃、意味のありそうなことばかりを考えていた時期があった。例えば効率性とか。例えば成長とか。例えば人脈とか。極論、意味のあることは意味のないことが多い。逆に、意味のないことは意味があることだったりする。だからもう基準なんてなくて、適当に導かれる方に進めばいいと思う。つまり、感情が赴く方だったり、どこから湧き出てくるのかわからないわけのわからない使命感だったり。ガンガン不毛な小説を読み、ガンガン無駄に昼寝し、ガンガン漫画を読んで引きこもっていればいいと思う、聞いたことないクラシックでも聞きながら。そして、今書いているみたいに、ガンガン何にもならないしょうもない文字を連ねれば良いと思う。それが客観的にわけのわからない行動だったとしても何の問題もないと思う。いずれにせよ自分でもわけがわからないんだけど、赴くから進んでる訳だし。更に言えば周囲の目なんてのは勝手に自分が作り上げた化身だったりすると思うし。

 
昔広告を作ってた人がよく言うなと自分でも思うけど、なんかキャッチーとか本質的じゃないし、そのものに自信がないから誇張した形で見せるんじゃないかしらと思ってしまいます。なんか、もっとぼちぼちやれよと。そんな大きく魅せなくても、焦らなくても、世界はこのままあり続ける訳で。明日も変わらぬ日常な訳で。まあ急ぐも急がないもその人の好みだから一概には言えないけど、私はそんな急ぎたくないなー疲れるし。
 
世の中の大きな流れとかもどうでもいいです。どうでも良くない気分の時もあるけど、今はどうでもいい。そんな大きな流れを意識しなくたって、意識したって、いずれにせよ同じように時間は流れて行く。変わらないのは自分という人間がいて、どっか向いてぼちぼち歩いたり止まったりすること。大地震が来る時はくるし、こない時はこないし。いきなり背後からさされる時は刺されるし、刺されない時は刺されないし。この前、キャンプしていたら暴走族に囲まれて相当ひやっとしましたが、刺激したら怖いので、ぼーっとしてたら帰って行きました。let it be, let it go.
 
究極のニヒリズムですね。でもこの感覚は自分として嘘ではないですね。こういう自分も間違いなく存在する。