オーストラリアでかけがえのないもの

結構自分は環境に影響されやすいのかもしれない。正確に言うと、環境によって行動を変えられることは少ないけど、結構環境を感じているように思う。そんな中で住む場所のもつ空気感とか文化とかノリみたいな、ふわっとした環境は凄く大事で、日本はそれが私と全然合ってない。日本の好きな所は沢山あるけど、あの空気感、うざったすぎる。細かいことは書かないけど、労働倫理とか頑張れ精神とか体育会系とかその辺。それがオーストラリアで感じる、そんなに沢山あるわけではないけど、これはいいな〜と思うものの中野一つに、平日でも、みんな休日みたいに過ごしているという、平日と休日の区別のなさ。こういうのって結構自分の思い込みだったりするんだけど、そう思い込ませてくれる空気がある、ように私には感じられる。この環境って、メンタルヘルス上本当に大事で、心が健やかであれる。働くのが人生だと思ってない人たちが作り出す空気の中で過ごす事は、たかがオーストラリアなんだけどれも、私にとって結構かけがえのない環境であると思う。

時間の使い方

良い時間の使い方って大雑把に言うと、敢えて分けるなら3パターンくらいあるのではないかと思う。まず一つ目は「〜したい」という自身からのモチベーション発信型。何かに憧れて、こうなりたいとかで、例えば私の場合でいうとサーフィンしたいとか、バスケしたいとか。それを満たすことによって自分が気持ちよくなれる系。2つ目は、利他的要素が強い物で、私でいうところのうどん作りなど。何か人のためになりたい、そしてそれを感じて自分も気持ちよくなったり。3つ目は、一つ目と近いんだけど、「〜したい」という自分が気持ちよくなるため、というより「衝動に駆られて」みたいな無目的な時間の使い方。例えば画家が絵を描くように、ゲーマーがゲームに熱中するように、特にこれといった意味のない行動。この3つのパターンの配分・割合がそれぞれの自分の「活動」によって違うと思うのだけど、私ははっきりいって1的な要素は結構やってきた。2は実践中。だけど3が弱い。意識を持ってやるものでないから、何かに迫られてスタートするものなので難しい。難しいというか考えてやることでもないわけで。多くの人は1をやるために、1、2、3、のどれにも当てはまらない、生存するための金稼ぎという4に時間を割いて生きているように見える。私もこういう時期はあったわけだけど、人口の過半数がこれをしているから同調できて気楽なのと、結構4が大変なので1がより気持ちよいし、なかなか4を我慢することさえできたら、割と風通しの良い過ごしやすい時間の使い方のように思う。金持ちで時間たっぷりある人というのは結局3しかないと思う。多分1はもうやり飽きてるし、2は金儲けに適性があるので、どっかのタイミングでやってきてるのだろう。そうなると、この有り余った余生は3に使うしかないと思う。もう無目的に、何かを達成するとかそういうことではなく、ひたすらやる。ただただやるという感覚。ひたすら歩くみたいな。ひたすら蟻の行列を凝視するみたいな。別に目的はないけど。私の場合、金持ちではないけど、そこそこ金はあり、たっぷり時間はある。ひたすら3をやる人生を送りたい。

うどんによる鬱状態から復活快進撃

ゴールドコーストにいる時は、色々あって結構メンタル的に追いやられ(というか実質的には自分で追い込んで笑)、人生の味気なさを感じていたわけですが、シドニーにきてこれまで感じた事のない自分のうどんの需要を感じ、色々な人に楽しんでもらって、最高な気分にいるわけです。人生とは、どう展開するかつくづくわからないものです。ある尊敬する方の文章を読んで、すごくしっくりきたのですが、ゴールドコースト時代の私の気分の落ち込みというのは、有り余る時間を目の前に、思考が深層部分まで入り込み、煮詰まり苦しみ、でも理屈的にしっかり自分で「有り余る時間とこれからも続く長い人生」という脅威に対しての解決策を持っておきたいから更に思考するわけですが解決策は見つからず、負のサイクルに陥っていたのでしょう。失恋した時もそうでしたが、そういう事態の時ってゲージがニュートラルな健康状態の時と比べると、相当ゲージがどちらかにふれてる不健康状態で、冷静だと自分では思ってる思考さえも狂っているのでしょう。そんな時のたまにワークする解決策は「忙しくする」だとその方は書かれていました。とはいえ、私がゴールドコーストで働いていたわけのわからんキッチンで働き続けても当時の私の思考は回復しなかったんじゃないかな〜と思いましたが、自分のやりたい形でうどんを提供する中で忙しいというのはかなりハッピーでした。多忙であることが以外、一ミリの不満もなく、楽しかったです。今の所この状況に救われて危機的メンタル状態からは脱出できたようです。その方は、自由に好きに生きると決めた以上、そういう空虚感みたいなものとは友達にならなければならないと書かれていました。ごもっともです・・・さすがの、考察力と分析力と表現力です・・・あっぱれ。

 
ビートたけしが言ってましたが、もう行くとこまでいったら、人間遊ぶしかないとのことでした。自分の人生においてやりたいことはやってきた自負があるし、挫折も達成も様々なカテゴリーでしてきた気がしますが、今の自分はきっと、もう行く所まで行ったので、正に遊んでるような感覚です。前職をやめてからそうでしたが、今はその遊びがより面白い方向に展開していっている感じ。この遊びは楽しい。いつ死んでもいいように心がけて人生の選択をしてきましたが、やはり今もいつ死んでも良いと思える選択をできているように思います。実際死ぬ時は悲しいのだろうと思いますが、それでも最高の死を迎えるにあたり、出来る限りのことは今やれている自信があります。これは結構素敵な事と思います。
 
具体的にどういうところに「最高だぜ!」と感じているかというと、うどん作りというオモロいことを通して、オモロい場所に招かれ、オモロい人に会えていることが最高なのでしょう。そこから想像もしないような展開に心躍りますし、世界が広がったりしてるわけです。実は私にとってうどん作りというのはツールで、うどんじゃなきゃいけないか?と聞かれると、食べ物であれば何を扱っていても、楽しさは感じられるタイプです、私は。「自分が頑張ってつくった何かを直接的に人に楽しんでもらう」ことの喜びも勿論大きいのですが、そこから派生するオモロい場所に行ったり、オモロい人に会えたり、オモロい展開に巻き込まれるのが最高です。このまま、うどんが食べたいという要望から、南米に飛ばされ、中央アジアに飛ばされ、ヨーロッパに飛ばされたら、私はもう生きてて良かったな〜とかいう話になるでしょう。
 
シドニーについて書くと、いい所です。個人的にはゴールドコーストブリスベンより俄然好みで、各サバーブに文化と多様性があるところが素敵です。更に自然と街の調和具合が程よいです。都会遊びしたければシティに行けば良し、チルしたければシティから離れましょう。これまでオーストラリアを軽く見下しながらも過ごしてましたが、シドニーでかなり見直しました。上から目線ですみません笑シドニーになら住んでみたいな〜と思います。もう住んでますけど。