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旅するうどん屋のうんたらかんたら

できるだけ人が興味を持たないことを、一切無理する事なく書き続けてます

人生のあらゆるシーンにおいて余裕を持ちたい

あーやばいなー自分とかネガティブかつ狭い視野で物事を見ている時こそ、一旦冷静になってみると、こうしたらいいだけじゃんとか、すごく論理的に物事の道筋が見えてくる。かなり当たり前のことだけど。だけど、未だによくこういう狭い視野にいる自分を第三者的に発見する。人生は長いのだから、あらゆる人生の状況というのは、その時はその時で楽しめばいいと思う。私は今オーストラリアにいて、一人で過ごす事が多い。日本にいたらちょっと東京までいけば、知り合いに連絡したら誰かと一緒にいることができる環境が作れるけど、この未開の地オーストラリアではそうはいかない。とにかくサーフィンも一人プレイの遊びだし、仕事は仕事だし、なかなか交友関係が広がらない。けど、今迄だって、日本にいた時だって大体は一人な訳で、そもそもが一人なのであるわけだし、一人だって別に悪いもんではない。というか結構これまでの人生、あらゆるつながりを持ちつつ生きて来たけど、基本的には一人で何事かをすることが多い人間である。とはいえ、せっかく異国の地へきたのだから交友関係を持とうと思うが、持とうと思うとどうも変な感じになる、というのが人間関係のような気がする。だからもはや、一人でいいんじゃないかと思っている。一人でいることは、それはそれでいい事があり、複数でいることは、それはそれでいいことがある。一人でゆったり過ごしてたら、なんとなく人なんて周囲に存在するようになるさ、という心持ち。そして、周囲に存在しなくたって、死にはしないし、一人で楽しく過ごしていようというマインド。こういう余裕が、長い人生においては必要だと思う。こういう人は強いと思う。あらゆる状況をピンチに捉えず、ネガティブに捉えず、その状況を俯瞰して楽しめる心持ち。たとえ、牢屋に入れられようと、大好きなパートナーと遠距離恋愛になろうと、「これはこれでいいんじゃないか、必要な状況なのではないか」という、ある種仏様のような、スッと冷静になれる余裕が欲しい。もちろんそれが出来るシーンもあるけど、未だにちょっとした、しょーもない感情に振り回される未熟かつ、素直な自分がいる。可愛いもんだな〜と思いつつも、当本人はなかなかややこしい気持ちを抱えているのでさっさとおさらばしたい。

何者でもあらず、何者であれる立場であり続けること

前職辞めた時とかは、すぐに何か専門技術つけたいなーとか思ってた。結局の所今もその考え方は変わってなくて、生きる術として正しいと思うんだけど、技術を取得するという事に付随して、何者かになりたいという気持ちがあったんじゃないかなと思う。特に日本にいると、肩書き付きで物事が語られることが多い気がしていて、その肩書きによってその人の発言の信憑性とか見る傾向があるからか、皆何者かになりたがってる気がする。医者の○○と申します、弁護士の○○と申します、某会社の○○と申します、のように名前の前に一つ何かあると確かに世渡りしやすい。そして周囲がそれを求めてくる分、そこに何かしらもっていると、自分が楽というのがでかい。結局私の場合はうどんを習い始めたわけだけど、技術的な云々もありつつ、うどん屋の○○ですって、いいたい気持ちもあったんだろうなーと思う。それくらい何も持たない人に対して社会的圧力が強いきがする。圧力というとおかしいかもしれないけど、枠に収まることを求められるという印象。でも、何者かであるということは、それなりにそうであることの難しさもあるように思う。何者かになれば、その側面からしか語られない対象になってしまうし、なんとなく自分的に息苦しさがある。私は昔広告関係の仕事をしていたけど、広告の○○さん、みたいな位置づけ、どういうステレオタイプを持って見られてるんだろうな〜という、得体の知れない偏見の恐ろしさ。思ってるより好印象かもしれないけど。というか、自分的にそういう意識で生きて行くのがなんとなくイヤである。私は広告の人なんだな〜とか、枠に収まった自分をあまり見ていたくない。
 
特に東京の若者達のある層を見てると思うけど、この何者かになりたい傾向が強いきがする。都会で人に満ちているからなのか、東京にそういう外部圧力があるからなのか、良く捉えるとある層のそういう人たちは我こそがと切磋琢磨してるように見えるし、一方でみんな自分の居場所がなくて苦しそうだなーとも思う。オーストラリア、特にゴールドコースト界隈の人は逆にその気概がなさすぎる、ように見える。ビーチでゆったりしてる人だらけだし、それがここでは正義だし、それを正義と思う人のみがこの界隈に居を構えている。私にとってはこの点に関しては快適以外の何でもない。シドニーとかにいったら違うのかな〜とは思う、もっと都会だから。日本も田舎はそういう異常なほどに強い気概は感じられない気がするし。
 
個人的な考えだけど、本当は人間とは、何者であらなくても良いと思うし、何者にでも今からなれる可能性を秘めているものだと思う。何も達成しなくていいし、何にも今から違う自分にならなくていいし、なぜなら自分は他の人と同様、普通の人間なのだから、ということが受け入れられると大分肩の荷がおりる。瞑想の授業だか本だかでも似たようなことを聞いた事がある気がする。というか、そうすべきとかそういう話でなく、ただただ自分は本質的なところでいうと何者でもありたくないし、何者でもあれる可能性を持っている人間でありたい。本質的な所では。ただ上記のように生きる上では、何者かであることを求められるので難しい、というお話である。でも本当に自分は普通で、何者にもなる必要はない、を通して生きて行ける人は本当に強いと思うし、何者にでもなれる人でないとこれから生きて行くのは大変かもなぁとも思う。まぁ未来の話なんでどうでもいい話ですが、近い未来かもしれない。
 
実際の所、過去をさかのぼると、小学生の時は水泳の人だったし、中学高校はバスケの人、大学はアメリカ行ってた人、会社員の時は広告の人で、ちょっと前まではうどんの人、今はサーフィンの人と周囲からいわれてきた印象がある。なんでこうなるのか、一体自分が何を言いたいのかもわからなくなってきたけど、これからもこうやってカメレオンのように、人生のあらゆる彩りに魅了されて、今の脳内では想像もできないような経験をして、何者かであろうという意識なく、変化し続けていけたらかっこいいなーと思う。
 
そのせいか、人生に絶望しているからかわかりませんが、最近は基本的に無意味なものにしか惹かれない。無意味といっていしまうと味気ないけど、将来につながるからとか、そういう打算的な考えで今やることを選んでいない。最近というかかれこれここ2年くらいは。サーフィンだって別に何かを求めてここまで真剣にトレーニングとよんでもいいレベルで追い込んでいるわけではなく、ある人は波に乗れたからなんなの?というかもしれないけど、だからこそ魅力的というか無目的な感じがいい気がする。目的があってしまうと、ああそのためかという、なんか逆に味気なさを感じてしまう気がする。そもそもこの話は今回のトピックに関係があるかわからない・・・だけど、サーフィンを通して何者かになろうとしているわけではないし、オーストラリアに来たのもそういうのがめんどくさいからってのもあるし、っていう話。

 

心躍るもの

基本的に何でも興味は持つし、持つようにしてるし、その魅力に気付くと面白いなーと思うんだけど、27年間生きて来てやっぱこれすげーなー、めっちゃいいわ!というワクワク感、高揚感、まさに言葉通り心躍る対象っていくつかあるなーと寝る時に思ったので、ごちゃごちゃ書いてみます。
 
まずは旅。つまり色々な所に行ってみるという事。グーグルマップで世界地図見てるだけでウキウキします。世界一周船乗ったり、オーストラリアきてより思うけど、こんなところでこんなことしてる人いるんだー!すげ!という発見に、どこにだってそりゃ人はいると思ってるから理屈的にはわかっちゃいるんだけど、毎度感激する。世界一周船でまわった聞いた事のない島にも、あんな辺鄙な地域にも、人はいて、想像もしないようなバックグラウンドで生きているというのが、なんともこの自分の世界がぐわっと広がる感じ、というと陳腐な表現だけど、おおおーーという圧倒される感じが好き。自分はこれまで凝り固まった考え方してきたな、と思わされる。単純に行った事ない地域を見てると興奮する。なんか楽しそう。この「なんか」に色々な想いが詰まっているわけで。できるならやっぱり色々な地域にある程度の期間定住したいなぁ。やっぱり、これも本当に理屈的にわかっちゃいるんだけど、ちょっと観光で行くのと、最低1ヶ月くらいは住んでみるのでは全然見え方が違う。なんか固定された概念もってたなぁと、当たり前の気付きを得る。今なんかはなぜかドイツの地図みて興奮してます。あんな色んな国に囲まれてて、とか。特にこれまであってきたドイツ人の若者がすごい教育的に進んでるような気がして。若くして色々な所に足を運び、言語的な意味でもコミュニケーション的な意味でも高いコミュニケーション能力を持って、あまり他国の同世代の人がやらないようなことやってる人が多い気がする。どんな教育制度やねんと思います。ある人は20代前半くらいの人たちで中国の高校で英語教えてたし、ある人は19歳でサーフィンの資格とりに南アフリカ数ヶ月行って、今オーストラリアにいるという、自分が19の時は大違いなワールドスケールな生活しとんなと。なんだかんだ、ヨーロッパってこういうところ進んでるなと思わされる。制度とか暮らしとか教育とか、ヨーロッパといってもピンキリだけど、なかなか強い。若い人に会っても知識とか人としての成熟度の水準が高い気がする。ヨーロッパ以外で会う純ローカルではないからな気もするけど。
 
音楽&ダンス。やっぱり、10代の頃から興味持ってただけあって、音楽&ダンス、このコラボレーション最強だなと未だに思う。めちゃめちゃ心躍る。うわーーーと心から思えるのはやっぱこれ。特に音楽。めちゃくちゃ沁みる。なんか無条件に良い。言葉のストックがないからか、それこそが音楽だからかなのかはわからないけど、本当に言葉の通り、言葉に表せない良さがあると思う。今後の人生、やっぱりこの分野にはもっと力いれたいなーと思う。ただただ楽しい。こういうものに出会えて本当によかったなーと思う。何も言い得てないけど、本当にそれだけでした。ただただ素晴らしい。カッコいいし、無条件に心通うし、踊るしっていう。
 
自然。これもまた無条件に良い。綺麗にちょろちょろ流れる山の水とか、清流とか、綺麗な海もそうだし、そよ風とか、つんと冷たい空気とか、たまに意識的に見る青空とか、これに適うもんはないなーと思う。結果的にキャンプとかアウトドアアクティビティかなり好きだし。最近は山登りとかサーフィンとかやって、対自然系アクティビティやって、余計思う。この辺のアクティビティ心引かれるものあるのは、対自然だからだろうなーと思う。これもまたなんでと言われると難しいけど、変化に富んだ気候、リアルに訪れる生命的危機、シンプルな美、ありのままな姿、そういう手の加えられていない、加えられない自然なままの自然が好きなのだと思われる。
 
食。これも言わずもがな、うまいもの食べると、あーいいなーと無条件に思う。サーフィンのあと、アイス食べる事想像するとウキウキするし、オーストラリアにいながら、今日アジア料理食えるよ、とか言う話になったら、まじっすか!というノリに本気でなるという素晴らしさ。今からこってりラーメン食えるよ、ってなったら無条件にウキウキするのである。音楽とも似てるけど、食という活動を実践してない人ってほぼいないと思うんだけど、他人と共有しやすいってのも良い。喜びをわかちあいやすい。
 
あとは動物とか祭りとか人との出会いとか。色々考え始めたらでてくる。こういう高揚感を感じられるような対象は大事にしたいなーと思う。ふりかえって見てみると、ヒッピーみたいな好みしてるなと思う。