World Traveling Udon Maker 世界を旅するうどん屋  

【World traveling Japanese handmade udon chef visits your kitchen. 世界を旅する本格手打ち讃岐うどん屋が、あなたのキッチンへ】 Bookings available from all over the world 世界中どこからでも予約お待ちしてます

酔っ払いの戯言


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うどんを食べてもらって頂いたお金を、自分の中だけの消費で終わらせるのではなく、次に繋がる何かのために使いたいなと最近よく考えていた。消費は、自分の欲求を満たすことだけに留まり、社会的価値が生まれにくい。

フィリピンのスラムに行ってから、「うどんで社会貢献的なことができないだろうか?」と烏滸がましながら考えていたけど、やはり「社会貢献」という言葉が頭に出てきてしまう時点で、やってやってる感が強く、自分の中に少なからずそういう気持ちがあったのだろう。実際、スラムの人たちはなんてことなく楽しそうに暮らしていた。よく社会貢献を志してスラムを初めて見た人が似たような感想を抱いているのを見聞きするが私も例外ではなかった。結局、自分がやりたいからやっていたこと、を続けていた結果、誰かのためになってました、影響を与えてましたという物語が一番クリーンに誰かにポジティブインパクトを与えているのだろう。スティーブジョブズが、社会貢献を意識してiPhoneを作ったわけではなく、彼が素晴らしいと感じたものを作った結果があの世間を騒がせた作品なのだと思う。イチローが社会貢献の意識を持って野球を続けているとは思えない。きっと、彼のプレイを見た人が、何か感じとってくれればいいな、と思っているのだと想像する。さて、私は頂いた自分の人生という時間とうどんを作る技術をもって、人々に何をすることができ、頂いたお金でどんな循環を周囲に生み出せるのだろう?イマイチその矛先がまだしっくりくる対象がない。

それはさておき、バブル崩壊と共に誕生した私だからか、なんなのかさっぱりわからぬが、幼き頃から富豪になりたいみたいな気持ちが全くない。うどんを通じて頂いたお金で十分生活ができる(うどんを食べてくれた皆さんのおかげで、させて頂いている)。特に消費活動をしたいと思える対象もない(旅くらいかなぁ)。さぁ自分の技術と能力で生活できるレベルのお金が稼げるようになりました、次はお金に働かせてお金をもっと稼ごう、とか巷で言われるが、自分のコミットが低い労働に対する報酬にどんな価値があるのだろうか?個人的には、そういうものに全く魅力を感じられない。

そもそも資本主義の構造上、ざっくりマクロ的な視点から言うと、「富豪が富豪であり続けるから、貧困がある」のではないかと思う。つまり、世界の富豪たちが富と安定とステータスを捨て、多くを求めないごく普通の中流階級的な生活をし始めたら、貧富の格差は少しは軽減されるように気がする。でも欲深き人間は、貧困の手助けはしても、自分の生活レベルを下げることができない。

なので、本当に所謂社会貢献と呼ばれる、貧困撲滅を目指すなら、「必要以上に、身の丈以上に、稼がない。生活レベルを上げない。足るを知る」のか一番大事なのではないかと思う。オーストラリアのメルボルンで私のうどんを食べてくれた女性が「足るを知る」という言葉を家訓として掲げていたのを思い出す。あのガンジーが非暴力の重要性を民に訴えるために、断食をしたり、生活レベルを庶民に合わせて行進したりしていたのは、自身に対する戒め的な意味合いもあったのでらないかと想像する。つまり、これ以上うどんを作ることで、金銭という対価を頂くことに興味がわかない。私は人々の心に何を残せるのだろう?

マイケルジャクソンはheal the worldを歌って、自分の幼少期のような苦悩を世界の子供たちが感じないよう、世界に訴えた。世界中の人間に今一度次の世代を担う子供たちが豊かに過ごせるような社会を作ることを考えさせる機会を作った。正直、めちゃくちゃカッコいい。彼のように高い知名度と歌唱・作詞作曲能力を持った人間ができる、最善のアクションだと思う。


Michael Jackson - Superbowl Medley - Heal The World 1993

最近、「お金を払う」ということについてよく考える。ベトナムの観光地情報について日本語でネットで調べていると、不当なチップを支払わされることがあるので注意!と書かれていた。今日参加したツアーの最後には「ツアーガイドはチップを要求しなかったか?」という質問が書かれたアンケートを配られた。確かに私もこれまで各地を旅してきて、不当なチップを要求されることに腹がたったことは幾度となくある。でもよくよく考えると、「頑張って何かしてくれた対価としてチップを払う」ことに対して日本人はハードルが高すぎないだろうか?と思う。確かに慣れない文化だから仕方ないかもしれないが、そこのこところ欧米人(ひっくるめて言いたくはなし、何でも欧米文化を過度に賛美するのは好きではないのだが)は「自分が楽しんだ時間と体験に対して対価(チップ)を払う」のが上手だなぁと思う。

応援する対象に対して、「金銭的寄付をする」というのはもちろんサービス提供側として有り難いのだが、1番有り難いのはその人が「サービスを受けてくれる」ことだと思う。実際、私がうどんづくりの旅を続ける中で一番感謝しているのは、限られた時間とお金をはたいて「谷村うどんを食べにきてくれた人」である。貧困の地に、富を持ったものが金銭的寄付をするというのはすごく有り難いことである一方、ドライでもあると感じる。やはりサービスを受ける側として一番嬉しいのは、金銭的支援よりも、実際現地に赴いて交流することなんじゃないかな?昔、モロッコサハラ砂漠に行ったのに、ケチってラクダツアーに申し込まなかったのが悔やまれる‥その用意してくれたサービスを受けることが一番現地の人のためになるのに‥

酔っ払ったのて終了‥