World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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素敵人間発掘&絆作り効用論(漫談風) 後編

21:32

 

「お前は龍じゃない方の、村上を意識しすぎだろう」とあるいは言われるかもしれない。無論、彼の語感や世界観は好きだ。彼が好きで、彼のような文体で書いている。これの何がいけないのだろう?好きなことを、好きなように書く。これが私の本ブログでの最重要事項である。「ダンス・ダンス・ダンスを読んだだろう」とあるいは言われるかもしれない。読んだ。だから私はステップを踏むように、自由に、またしても人生に一度きりの27歳の8月末の貴重な1時間を使って、踊るように文字を連ねるのである。

 

急にピアノのコンサートが聴きたくなって、南半球に位置する大陸オーストラリアの最南端・メルボルンのどこかで無料または安価に、演奏が聴けないか検索してみた。近くの大学で無料の音楽コンサートがやっているらしい。行ってみたが、ピアノのリサイタルではなく、最新技術を駆使した自然音を重ね合わせていく不思議なセッションであった。興味深かったのだが、空腹に絶えきれず、会場を出た。そんなわけで、メルボルンでクラシックとかオーケストラとかピアノの演奏とか聞けるところがあればご教示頂きたい。生演奏が聴けないともならば、仕方がないので家のパソコンでLudovico EinaudiのNuvole Biancheを流す。

 

誰かが「村上節はもう良いから、早く本題に入れよ」というかもしれない。と言われても、本題への切り口がないのである。本題に入らない雑談は無意味だろうか?最近の私は基本的に、意味のあることが嫌いで在る。世の人々は、皆意味のあると思われることをしているように見える。本当は、意味のあることには意味がなく、意味がないことのほうが意味があったりする。意味のあることは、自我の純度が低いように思う。周りを納得させたり、意識が周囲に向いている。一方で、一般的に言う「意味のないこと」は、自分自身の真の欲求であることが往々にしてあり、意識は自分に向いている。

 

自分自身の真の欲求とはなんだろうか?うどん旅を通して感じたのは、最初は「自分が生み出した何かが、一時的でも人の喜びになったら、嬉しいな」と考えていた。これもある種、一つの大きな喜びなのだが、でもうどん旅を続けて思うのは、誤解を恐れずに言うと「美味しいうどんをきっかけに、私を知ってもらい、素敵な人たちとの素敵な輪を作りたい」という欲求が一番強いと感じた。素敵な人たちとは、自立しており、常に自分の幸せを本気で考え、ポジティブなボキャブラリーで話し、その存在自体が、全体の空気をもポジティブにしてしまう、心の豊かな人たちの事だ。

 

実はこの各地でうどんを作る中で、こういう人たちに何度かお会いしている。本当に光栄な事で、その時の私は「あーすごいなー」と只々呆然としている。あるいは、その人たちが素敵であった瞬間に私が「たまたまた居合わせただけ」なのかもしれず、「素敵な人」という観念は存在しないのかもしれない。人間の性質とは、環境整備やデトックスを行わないと、汚れてくるものだし、不動ではなく、常に流動的だと個人的に思う。素敵な人が、今後も素敵であり続ける保証はどこにもない。ただ、「その瞬間私が素敵だと思った」という事実は確かに存在し、それは烏滸がましながら、「私の存在がその人を素敵にした」という視点もあると思う。全く出すぎた物言いなのであるが。ともあれ、「素敵な人に出会えたこと」という事実は、そう言う意味で私に自信をくれる。つまり、「素敵な人に出会えるような自分であった」証であると思うから。一方で、「素敵でない人」に出会った時は、自分を戒める。きっと自分に傲りがあったのだろうと。「相手は自分をうつす鏡である」という常套句があるが、何だかんだで、そういう嫌いはあるのかもしれない。

 

つまり、何が言いたいかと言うと、「素敵な人に出会えた」という事実は、「自分が良いサイクルにいる」という最大の証なのである。自分は自立しており、自分の幸せを本気で考え、ポジティブなボキャブラリーで話している。その結果、自分の周りの空気はポジティブなものになり、そのような素敵な人を引き寄せたということである。更にいえば、そのサイクルにいれば、素敵な人が沢山いるレイヤー(層)に住むことができる。無論、目に見えるレイヤーではないが、私はそのレイヤーで今後50年生きれるように努力したい。そのレイヤーにいられるような自分であれば、周囲は自立しており、自分の幸せを本気で考え、ポジティブなボキャブラリーを話す人ばかりである。互いがポジティブなエネルギーを発し合い、良い波動しか生まれない超絶素敵ワールドの誕生である。

 

そのために、前述したように環境整備が必要である。ある種、「素敵でない人」はどこかのタイミングで、自分の周囲から遠ざけなければならない。「素敵でない人を遠ざける」ことが、ひいては「素敵な人を引き寄せる」第一歩なのである。だから最近の私は人の見極めに出来る限りの集中力を使っている。まるで、「引き寄せの法則」やスピリチュアル関連本の丸コピのような話で、ある人は「幻想」というかもしれないが、要は私が言いたい「素敵人間発掘&絆作りの効用論」とはこのことである。とはいえ、本が無かったとしてもこれまでの経験上、これが人生が豊かになる一つの方法だ、少なくとも私の人生の場合はそうだ、というのは感覚的にわかる。私は自信を持って、今後の人生を「素敵人間発掘に使いたい」と言える。(22:36。時間的ジ・エンド。最終編へ続く・・・)