World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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思考のストック

何かものを表現する時に、内省的に自分寄りに公にするのか、オーディエンスを意識して公にするか、という判断があると思う。ここで書くことは基本的には、限りなくオーディエンスを意識しない、自分よがりな文章にしているつもりである。なので、「ですます調」ではなく、「だである調」でいこうと思う。色々やってみたが、私はオーディエンスを意識すると筆が進まないタイプである。結局、想いも感情も意見も、文章にしないことには伝わらないのに。一方で、自分よがりな文章を公にするというのは、何ともくすぐったい、恥ずかしいことであるように思う。しかもここでは、結局文章は一人で書くものなので、非常に淡々としている。それをそのトーンのまま書く。これも恥ずかしい。でもそれが、対峙した時には顕在化されづらい、内にいる自分なのだから仕方がない。いずれ、時間がたてばわかることだったり、もしかしたら永遠にわかられない可能性もある。後者だと虚しいので、こうして自ら「自分臭い」部分を文章化する。

 

自分の思考の表現方法として色々考えたが、文章化するというのが今の所最適な解に思える。基本的に話すのは好きだし、歌うのも好きだし、絵を書くのも好きだが、思考を「ストックする」という点において、文章は優れいていると思う。取っ付きやすさや、ファンシーさよりも「貯蓄できるか」にここでは拘りたいと思う。最近の私は「人の関心を誘おうとして作られたもの」があんまり好きではない。この思考のストックが「私が本質的にどんな人間か?」という問いに対して、他者からわかりやすくなるのではないか、と思い文章を書くことにしている。上記のように、限られた対峙している時間内だけでは、見えてこない私がいる。

 

とはいえ、自分の内部分の文章化というのはすこぶる難しい。結果として、こんな風にガチガチの文章になるわけだが、話している時に私のそのような側面は見えないと思うのでまあ良いだろう。詰まるところ、私にもこういうところがあるという話なのである。

 

自分は、自分のことを、色々考えている人だと思っている。その思考のストックたるや、正直に言ってしまうと、自慢したいほどなのである。だけど、先ほどから書いているように、「限られた時間内で、私の思考の全てが伝わらない」のである。私は、「こんな私がいる」ということを知ってほしいだけなのかもしれない。承認欲求なのかもしれない。だけど、情報や才能に溢れる現社会では、主張して開示しなければ、無いものと同様に扱われる、ように感じる。だからこんな恥ずかしい思いをしてまでも、書くのである。