普通でありたい欲VS自由奔放にやっていたい欲

基本的にこれまで自由奔放やってきた。書かなくてもわかるであろう位にはびこっている日本的な普通を嫌い、好き勝手やり、孤独感を感じる事もありながら、それと戦い、多くの人が感じてこなかった自由を享受してきた自負がある。だけど、自由というのは孤独感とか疎外感との戦いで、人から受けれ入れられなかったり、他人と同調できるようなコミュニティがなかったり、それとのトレードオフである。それにも疲れてしまう自分も間違いなくいる。もう普通に染まれば楽なのかな〜とよく思う。別にやりたくないけど会社員ほどほどにやって、そこそこの安定と呼ばれる実際の所不安定な年収を得て、好きな人と子供をつくって、親とか親戚にたまに会いに行って、そこそこ趣味楽しんで、死ぬ、みたいな。いや〜自分はあんまりやりたくないなぁと思ってたけど、トータルでみると70点くらいな感じでいい人生だと思うようになってきた。そこそこの妥協はもちろんしてるけど、誰からもこの生き方を否定されないだろうし、きっと子供はすくすく成長して可愛いだろうし、まぁまぁいいこともありそうな。今も含めて、これまでは色々なところに旅しながら、住みながら、好きな人と色々な景色を見て人を見て、各地のうまいもの食べて生活できたら最高だろうな〜と思ってたけど、それをするハードルが高過ぎる。実質的なハードル、メンタル的なハードル、色々大変なのである。実質的なハードルは働き口を探したり、ビザだったり、生活環境だったり、もう全てである。メンタル的なのは自分のテリトリーの外の空気感だったり、言葉だったり、人からの目だったり、色々である。そう、こんなことならもう一層誰か素敵な人を見つけて結婚して、子供でも作ってみようかと思う。荒い言い方だが。一生懸命単調な仕事でもなんでもやったろかいと思ったりもする。今の自分には魂を売るような勢いだが。思いっきり普通に染まってみたら、染まれたら、それは居心地いいだろうと思う。特に日本のような普通である事、他と同調することの外部圧力が強い空気感を持つ国だと、普通に染まれたら、精神的安定が約束されるような気がする。
 
外部圧力なんて気にするなよと、どこからか聞こえてきそうだけれども、この外部環境、空気感というのは一個人がどうしようもできないほどのパワーを持っているとオーストラリアにきてより思う。自分がどれだけ精神を確立させていようと、やっぱり日本で平日からダラダラしていることは憚られるし、その空気感がなにげに日本人である私にはびしばし伝わってくる。それが辛い。何かをしていないと、何か前に進んでいるという軌跡を残していないといけないかのような、クズかのような空気感が日本にはある。それは私が勝手に作り出した虚像かもしれないが、やはり感じてしまうのだから仕方がなく、どう頑張ってもこの感覚は抜けない。一方オーストラリアでは昼間からビーチでゴロゴロしてる人もいれば、パブで酒飲んでる人も平日でもなんでも溢れる程いる。オーストラリアではこれが普通なのである。私もその空気にすっと染まる。それは言葉以上に重要なファクターであり、どんだけ自分の精神状態を自分の価値観によせていっても、結局外部の大きい流れ、波には適わないのだと感じる。