仕事や肩書きで人となりは語れないというお話
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なぜ世間では仕事や肩書きで自分を語るのかということを最近よく考えている。何かを立ち上げた、起業した、こんなことを成し遂げた、どこを卒業した、とかっていう肩書きとして語られる部分にその人の人となりは現れず、それってあまり興味がわかない。もっと人間の素敵さって他の本質的な部分に現れる
— ジュンタニムラ (@juntanimura) May 15, 2015
相変わらずこんなことを思考しているわけですが、なんなんでしょうねこれ。なんでこうも「普段は何をされてるんですか?」=「仕事なにしてるの」というところから初対面の人との会話が始まるのだろう。とはいいつつ、私もこのような投げかけをよくしていたのですが、いざ自分に仕事がなくなり、肩書きがなくなると、ややこしくて仕方がない。現代人は仕事で自分を語ります。「仕事してないです」となんか答えようもんなら、「次を探してるんですね」、「自分探し中ですか」とか言われてしまう訳ですが、個人的な感覚としては今この状態が心地よいからやってるだけなんですよね。もちろん不安はあるけど、不安は何してたってつきまとってくるものだし、悩んでいるかのように言われるけど、別に特に悩んでない。思考はしますが。なんで聞くのか考えてみるのですが、きっと肩書きを聞くと相手の日常がイメージしやすく、結果的にその人が何となくどういう世界を生きる人間なのか想像できるんでしょう。例えば銀行員ときいたら、平日は働いて土日は休み、どういうエリアのどういう家に住んで、どれくらいの収入があってとか。
でも逆に言ってしまえば、肩書きなんてその場しのぎでいくらでも作れます。ブロガーですとか言っておけば満足するのかなー。結局そう考えると、「肩書き」によって語られることなんて薄っぺらいもんだなーと思う訳です。いや、確かに話のきっかけになるし、相手の一部分を知るのには良いと思います。ただあくまで一部分です。初対面という限られた時間の中で語られる内容がその一部分では私は嫌です。相手の他の部分も知りたいし、私の他の部分も知ってほしい。
これって凄く素敵なことだと思う。本当の人と人との信頼関係はこのような部分のぶつかり合いでしか生まれず、肩書きをしったところでそれは人間という大きな器の中の一部分の中の一部分でしかない。あなたはその人のどんな部分に興味があって、その人と関わっているのか。一部分の中の一部分なのか。
「他の部分」というと不明瞭ですが、個人的にはもっと本質的なその人の人となりがわかればいいなーと思います。要は今一緒にいるこの人はいいやつなの?って話です。
例えば何かの本で読んだけど、どこかの昔からいる少数民族は人を「行為の美しさ」で判断するらしい。なので、初対面で話す内容は、どんな仕事をしているか、どんな肩書きがあるのかではなく、「これまでどのように人と関わってきたか、助けてきたか」のようなところで人を見るらしい。
僕はいいやつと一緒に時間を過ごしたいです。逆にいいやつだったらどんなやつでもいいです。なので、相手のそういう部分がわかる話題にフォーカスしたい。ただ人となりって話題も大事だけど、その人の話し方、対応の仕方、みたいな部分にも大きく現れていると思います。例えば田舎の八百屋のおばちゃんがニコニコしながら、「これもってって」とか言って買ってないものをサービスしてくれたら無条件にいい人だなと思いますよね。究極的なところ話す内容というのはその人の人となりを理解するのにあまり関係ないかもしれません。大事な部分は細かな行動、気遣いに隠れているのでしょう。