World Traveling Udon Maker's blog 世界を旅するうどん屋のブログ

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「目の前の人に何かを残そうとする意識って大切」ってお話


Martin Garrix @ Ultra Music Festival Miami (2015 ...

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東京のような都会で生活していると特にそうですが、毎日色々な人に会います。あまりに会う人が多すぎるから、正直一人一人とのコミュニケーションをめんどくさがってしまうこともある。だけど、「目の前にいる人に対して、自分が何かしてあげられることがないかということを常に意識し、相手の中に自分として何かを残すことって大切なんじゃないか」というお話です。 

なんでそんなことを思ったかというと、僕は「目の前の人が僕を見たときに、そこらにいる人と何のかわりもないおもんない人だったな・・・」と思われたくないからです。自分が毎日いろいろな人と会っているように、当然ですがその目の前の人も毎日色々な人に会ってる訳です。就活の面接官みたいな感じで、毎日いろいろな人が目の前に座って、思い思いのことを語ってくる訳です。Aは商社の人なんだ、Bは海外経験のある人なんだ、Cは・・・てな感じで続いて行く。それが自分のターンに回って来たときに、形容されるものが何もなく「いい人」とか「普通な人」じゃ僕は嫌な訳です。その程度の形容のされかたじゃ、目の前の人にインパクトは残せないから。 

というのも、僕は女の子が大好きなのでよく町中でナンパをしていて、普通な人じゃあかんなーと思ったからなんです。女子からしたら超ランダムに何十人といる周りの人の中の一人がいきなり声かけてくるわけです。その人がどこにでもいる「普通な人」だったら、超寂しいとかいう状況でもない限りついていきませんよね。何かしら「この人おもしろーい」とか「この人イケメンー!」とかそういうインパクトがないと、ついていくメリットがないわけです。何ならついてくことにはリスクが伴うし、多少なりともハードルを越えなければならないわけですから、ちょっとやそっと寂しいくらいじゃ普通はなかなかついてこないでしょう。

だから僕は人に対面するときに積極的に相手の「何か」であれるように時には主張したり、傾聴したり、前屈みなコミュニケーションを心がけます。相手の良い所は良いというし、悪い所は悪いといいます。(言い方はケースバイケースで考えますが)それにより、時にはトゲトゲしさから、よく思われないこともあるでしょう。だけど、僕の中ではトゲトゲしくて嫌なことばっかり言ってくる「嫌な奴」というのも立派なキャラクターです。「何ともない人」より圧倒的に僕はこっちを目指します。

そもそも誰かに嫌われない人は、誰かに愛されることもないと思います。良い例かわかりませんが、合コンをして女性陣が「私たちの中で誰が一番好み?」と聞いて来た場合に、「皆タイプ!!」とか言ってしまう男性はめちゃくちゃいい奴ではあるのですが、きっとどの女子からも指名されません。「女性ABCの中でAがタイプ!!」と堂々と皆の前で言い放てるやつはきっと女性Aから指名される可能性が高くなるでしょう。その代わり女性BCの候補の中からあなたは消えるでしょう。何かを選ぶということは、何かを捨てることです。何事に置いてもエッジがない人(平凡)は、誰の心にも残らない訳です。「凸」がない人は、「凹」と合致することはありません。「□(普通君)」に「凹」は綺麗に合致しません。

突然話は変わりますが、人の悩みに対するアドバイスというのは難しいものです、常々思いますが。やり方には皆さん色々持論を持っていろいろなやり方でアドバイスするようですが、基本的に僕は「〜〜したほうがいいんじゃない?」。「〜〜したほうがいいよ」位の「should」レベルの所まで言います。感覚的には、「あなた」と「私」がいて、その間に境界線が引かれていたとしたら、その境界線を一歩越えたところに言葉を置きます。更に細かく言うと「should」レベルの範囲のところまで言えるような心持ちというのを常に意識しています。(人によって言われ方の気持ちよさや許容範囲が違うと思うので)

一方、「私ならこうしますけどね」レベルの、自分側に言葉を置くというアドバイスの仕方をする人もいるようです。つまりその人にとっては、そのやり方が一番目の前のいる人にとってはベストだと考えているのか、またはそこまで踏み込んで話したくないかのどちらかだと思うのです。後者の場合、人との距離の取り方は人それぞれなので何でもいいのですが、僕はそのやり方は優しさでありながらも厳しいなと思います。要は、「私はこうやった」ということろまでは話してくれるけど、「君はこうしたほうがいいよ」というところまでは踏み込んで話してくれない。つまり少し距離をとられています。それはきっとアドバイザー側の心地よい距離間なのでしょうが、一方でそのアドバイスがうまくいかなかたっときの責任をとりたくないんだろうなとも思います。恨まれたり傷ついたりするのが怖いんだろうなと思います。

誤解を恐れずに言いまくってしまっているので補足すると、アドバイスの背景にはケースバイケースのいろいろな要素があると思うので、一概にして言えませんし、その距離間も全然問題ないと思います。ただ、僕としてはもっと踏み込んで話したいです。言葉を境界線を超えた相手側に置いてくるような言い回しをします。せっかく誰かのためになれるのだから、僕なりの考えを相手のことを思って伝えたいです。そうすることで、相手もこちら側に踏み込んで話をしてくれると思っています。それがお互いの信頼関係なりに繋がってくると思っています。

長くなってしまいましたが、つまり嫌われることを恐れずに、相手の中に自分の何かを伝えて行こう、残す意識をもとうというお話です。そうしないと普通の人という印象で終わっちゃうよって話です。毎日会う友達とかは違うかもしれませんが、パーティーやら誰かの知り合いやらなんやらで会う人たちとの時間って言うのはよくよく考えてみれば一瞬です。面接も初回面接なんて10分とかそこらだった気がします。極端に言ってしまえば、その時間内で「普通君ラベル」確定してしまうかもしれないのです。それでいい人はそれで全然いいと思うし、ついこの間まで僕もそれで良かったです。ただ今ナンパに明け暮れた結果、普通君ラベルは嫌だなと思うようになったわけです。もともと僕はドライで、熱くぐいぐい来る人好きじゃなかったんでお気持ち分かります。