時間の使い方
良い時間の使い方って大雑把に言うと、敢えて分けるなら3パターンくらいあるのではないかと思う。まず一つ目は「〜したい」という自身からのモチベーション発信型。何かに憧れて、こうなりたいとかで、例えば私の場合でいうとサーフィンしたいとか、バスケしたいとか。それを満たすことによって自分が気持ちよくなれる系。2つ目は、利他的要素が強い物で、私でいうところのうどん作りなど。何か人のためになりたい、そしてそれを感じて自分も気持ちよくなったり。3つ目は、一つ目と近いんだけど、「〜したい」という自分が気持ちよくなるため、というより「衝動に駆られて」みたいな無目的な時間の使い方。例えば画家が絵を描くように、ゲーマーがゲームに熱中するように、特にこれといった意味のない行動。この3つのパターンの配分・割合がそれぞれの自分の「活動」によって違うと思うのだけど、私ははっきりいって1的な要素は結構やってきた。2は実践中。だけど3が弱い。意識を持ってやるものでないから、何かに迫られてスタートするものなので難しい。難しいというか考えてやることでもないわけで。多くの人は1をやるために、1、2、3、のどれにも当てはまらない、生存するための金稼ぎという4に時間を割いて生きているように見える。私もこういう時期はあったわけだけど、人口の過半数がこれをしているから同調できて気楽なのと、結構4が大変なので1がより気持ちよいし、なかなか4を我慢することさえできたら、割と風通しの良い過ごしやすい時間の使い方のように思う。金持ちで時間たっぷりある人というのは結局3しかないと思う。多分1はもうやり飽きてるし、2は金儲けに適性があるので、どっかのタイミングでやってきてるのだろう。そうなると、この有り余った余生は3に使うしかないと思う。もう無目的に、何かを達成するとかそういうことではなく、ひたすらやる。ただただやるという感覚。ひたすら歩くみたいな。ひたすら蟻の行列を凝視するみたいな。別に目的はないけど。私の場合、金持ちではないけど、そこそこ金はあり、たっぷり時間はある。ひたすら3をやる人生を送りたい。
うどんによる鬱状態から復活快進撃
ゴールドコーストにいる時は、色々あって結構メンタル的に追いやられ(というか実質的には自分で追い込んで笑)、人生の味気なさを感じていたわけですが、シドニーにきてこれまで感じた事のない自分のうどんの需要を感じ、色々な人に楽しんでもらって、最高な気分にいるわけです。人生とは、どう展開するかつくづくわからないものです。ある尊敬する方の文章を読んで、すごくしっくりきたのですが、ゴールドコースト時代の私の気分の落ち込みというのは、有り余る時間を目の前に、思考が深層部分まで入り込み、煮詰まり苦しみ、でも理屈的にしっかり自分で「有り余る時間とこれからも続く長い人生」という脅威に対しての解決策を持っておきたいから更に思考するわけですが解決策は見つからず、負のサイクルに陥っていたのでしょう。失恋した時もそうでしたが、そういう事態の時ってゲージがニュートラルな健康状態の時と比べると、相当ゲージがどちらかにふれてる不健康状態で、冷静だと自分では思ってる思考さえも狂っているのでしょう。そんな時のたまにワークする解決策は「忙しくする」だとその方は書かれていました。とはいえ、私がゴールドコーストで働いていたわけのわからんキッチンで働き続けても当時の私の思考は回復しなかったんじゃないかな〜と思いましたが、自分のやりたい形でうどんを提供する中で忙しいというのはかなりハッピーでした。多忙であることが以外、一ミリの不満もなく、楽しかったです。今の所この状況に救われて危機的メンタル状態からは脱出できたようです。その方は、自由に好きに生きると決めた以上、そういう空虚感みたいなものとは友達にならなければならないと書かれていました。ごもっともです・・・さすがの、考察力と分析力と表現力です・・・あっぱれ。