焦らずに、淡々と今やれる(範囲の)ことをやる

最近は何をしてるかというと、ひたすら海の近くに住みこみ、サーフィンをしまくっている。おかげで前よりはうまくなった。最近一本板が折れて悲しい。夜は週3とか4くらいで仕事をして生活費を稼いでいる。たまに小旅行にでかけ、あとは本読んだりゆったりして過ごしている。以上。
 
これは真理だなーと思うのだけれど、タスクに追われ、何かに追われているときこそ、冷静さを失いテンパってぎゃーーー何からしたらいいんだ、わーーみたいなことになることが私はあります。冷静に考えれば今やれることをやることをやる以外に出来る事なんてないはずなのに、その時はそんな冷静な状態じゃいられない。自分は自分を冷静なタイプだとかぬかすことがあるが、全然そんなんじゃない時がたまにやってくる。ぎゃーーーわーーーとなって何がなんだかよくわからないので発狂状態なのであるが、その時の冷静的思考の失われ方と言うと、もう恥ずかしいくらいである。そういう時は、もう言わずもがな、この言葉の通りで、やれることはただ一つ。今やれる事をやるのみ。たまに思うんだけど、人間誰しも脆いもので、普通だと自分の事を思っていても、時に危うく、孤独感、寂しさなのか、なんなのかわからない気持ちに陥る時があるように思うんだけど、そういうときもただただその瞬間の自分がやれる限界ちょっと手前くらいまでをひたすらやるしかないように思う。今日は外に出たくないと思うのであれば、一歩も出ないか、軽く窓を開け放ち外気を感じる。もしくは出来るならベランダにでてみる。無理なら出ない。とにかく無理をしない。出来る所までやる。今日はサーフィンしたい気分でないと部屋で思う。でも海までいくことなら出来る。そしたら海まで行ってみる。そこでまた問いかける。サーフィン出来るか、答えが出来るなら入る。出来ないなら海の近くでチルする。とにかくその瞬間瞬間で出来る所までやる。あとは神のみぞ知る。運任せ。時が何か変化を起こすでしょう。意外と人間の一つ一つの小さな発言や行動の変化が物事や生活に微かながら変化を起こすものだと思っている。だから出来るところまでやっていたら、何か変わる信じて、あとはただただ心平穏に過ごせば良いと思う。ちょっと瞑想的なスピリチュアルな話になるけど、色んな物事が起こるこの世の中では特に、こういう自分に対する冷静な問いかけというのが足りないと思う。自分の話だけど。これが出来ると物事ってそんなややこしくない気がする。ケースバイケースだから異論はあると思うけど、頑張りすぎな人に対しては特に、淡々と今やれる範囲のことをやるという精神はすごく響くと思う。人はいつ死ぬか分からんと言われるが本当にそうで、明日死ぬかもしれないし、あと100年生きるかもしれない。明日死ぬとわかっても、100年後死ぬと分かっても、結局やるべきことは今やれる範囲の事をやるだけ、である。とにかく、焦ったって状況は好転しないし、あたふたして自分を失い、疲弊するだけだと思う。

 

普通でありたい欲VS自由奔放にやっていたい欲

基本的にこれまで自由奔放やってきた。書かなくてもわかるであろう位にはびこっている日本的な普通を嫌い、好き勝手やり、孤独感を感じる事もありながら、それと戦い、多くの人が感じてこなかった自由を享受してきた自負がある。だけど、自由というのは孤独感とか疎外感との戦いで、人から受けれ入れられなかったり、他人と同調できるようなコミュニティがなかったり、それとのトレードオフである。それにも疲れてしまう自分も間違いなくいる。もう普通に染まれば楽なのかな〜とよく思う。別にやりたくないけど会社員ほどほどにやって、そこそこの安定と呼ばれる実際の所不安定な年収を得て、好きな人と子供をつくって、親とか親戚にたまに会いに行って、そこそこ趣味楽しんで、死ぬ、みたいな。いや〜自分はあんまりやりたくないなぁと思ってたけど、トータルでみると70点くらいな感じでいい人生だと思うようになってきた。そこそこの妥協はもちろんしてるけど、誰からもこの生き方を否定されないだろうし、きっと子供はすくすく成長して可愛いだろうし、まぁまぁいいこともありそうな。今も含めて、これまでは色々なところに旅しながら、住みながら、好きな人と色々な景色を見て人を見て、各地のうまいもの食べて生活できたら最高だろうな〜と思ってたけど、それをするハードルが高過ぎる。実質的なハードル、メンタル的なハードル、色々大変なのである。実質的なハードルは働き口を探したり、ビザだったり、生活環境だったり、もう全てである。メンタル的なのは自分のテリトリーの外の空気感だったり、言葉だったり、人からの目だったり、色々である。そう、こんなことならもう一層誰か素敵な人を見つけて結婚して、子供でも作ってみようかと思う。荒い言い方だが。一生懸命単調な仕事でもなんでもやったろかいと思ったりもする。今の自分には魂を売るような勢いだが。思いっきり普通に染まってみたら、染まれたら、それは居心地いいだろうと思う。特に日本のような普通である事、他と同調することの外部圧力が強い空気感を持つ国だと、普通に染まれたら、精神的安定が約束されるような気がする。
 
外部圧力なんて気にするなよと、どこからか聞こえてきそうだけれども、この外部環境、空気感というのは一個人がどうしようもできないほどのパワーを持っているとオーストラリアにきてより思う。自分がどれだけ精神を確立させていようと、やっぱり日本で平日からダラダラしていることは憚られるし、その空気感がなにげに日本人である私にはびしばし伝わってくる。それが辛い。何かをしていないと、何か前に進んでいるという軌跡を残していないといけないかのような、クズかのような空気感が日本にはある。それは私が勝手に作り出した虚像かもしれないが、やはり感じてしまうのだから仕方がなく、どう頑張ってもこの感覚は抜けない。一方オーストラリアでは昼間からビーチでゴロゴロしてる人もいれば、パブで酒飲んでる人も平日でもなんでも溢れる程いる。オーストラリアではこれが普通なのである。私もその空気にすっと染まる。それは言葉以上に重要なファクターであり、どんだけ自分の精神状態を自分の価値観によせていっても、結局外部の大きい流れ、波には適わないのだと感じる。